|  | 竹久夢二の美人画「黒船屋」は大正7年(1918年)、年の瀬遅く、のそりと持って来られたと父(二代目浩正)が申しておりました。
 
 これが境に夢二の新境地の前触れであり、初代勝次郎がさらに深く関わることになるのでした。
 古武士である祖父は決して表に出ることはありませんでしたので、飯島勝次郎その名も今日知る人も少なくなりました。
 
 美人画黒船屋の画もさることながら、作品をひときわ際だたせています黒の表装は、この作品の為に京都西陣で特別に織らせた緞子で二度と手に入らない布地です。
 
 掛け軸の仕上がりも時代を経た今日でも洗練されたデザインとしなやかでくるいのない技術は、次代を担う私たちの手本となり引き継がれております。
 
 兄弟のような師弟関係にあった父浩正は夢二独自の絵の具作りを手伝わされ、その技法は夢二が案出した秘伝の絵の具と言っても言い過ぎではありません。
 
 昭和初期頃までのニュース映画等に見られる日の丸の額は、当店が制作した額装で日の丸は国旗ではありますものの、父が一枚一枚手書きの画であり芸術品でありました。
 
 表装から洋額まで一枚ごとデザインし制作するカスタムフレームの草分けであり、今日における額装のスタイルをかたち作りました。
 
 展覧会大作用の貸し出し額をはじめ今日の貸し額搬入搬出の基礎を作りました。
 
 美人画「黒船屋」を契機に店名「彩文堂」を改め、「黒船屋」とし現在に至っています。
 
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